イマニムのブログ

イマニムのブログです!Twitterで呟く程じゃないと思うことや詳しく話したいことなどを自由にゆるく発信していきます。

友達がYouTubeを始めた。どうしよう。

こんにちは、イマニムです。
 
最近ほんと、YouTubeばっか見てる。
かまいたちとかさらばとかジャルジャルとか。
いわゆるYouTuber的な人たちじゃなくてどちらかというと芸人のチャンネル。
まあ楽しみ方としては同じですが。「流行には流されねーぜ!」って息巻いてた高校生の自分よ。
絶賛、流されてます。流されるなんて生ぬるい、もはや追ってるよ。毎日登録チャンネルの更新がないか見てるし、なんなら見尽くしちゃってるからね。
1,2時間ぐらいの生放送とかも見果てたよ。
ジャルジャルは見尽くせないと思うけど。アイランドはできたけど、タワーは見尽くせない。
彼らはちょっと、変態だよ。YouTubeの変態。超、ありがたい。
 
今回はそんな、YouTubeのお話。
 

YouTube

気付いたら、YouTubeやってる友達が周りに増えた

 
ほんとに増えた。今20代として社会の広がりの最後のほうを見てるのかなってお年頃。
お国のために働いて税金納めるぞー、えーこんな取られるの?やっぱてっかーい、いやうそですー、うそのうそー。なんて抵抗してみたいお年頃。
やっと社会を知ってきて、なんとなく自分の道が決まってきたお年頃。
 
あれ?メディア露出って普通なの?
 
そう思うぐらい、ボンボン出てきてた。夏の虫、冬の結露ぐらい湧いて出てきてた。
しかも結構人気だったりする。逆に気づいてないほうがやばくない?流されないどころか置いていかれてるけどそれでいいの?ってぐらい。
いかんいかん、馴染みがないからってティックトックをバカにするのはいかんと、最近頑張ってティックトックも見てるのに。
逆に、ちょっと頑張っちゃったから、今まで井の中の蛙的に知らずにぬくぬくしてたのが露呈した、みたいな。
 
「同じ大学の人が!?」
「同じサークルの人が!?」
「同じ高校の人が!?」
「同じ中学の人が!?」
「お前が!?」
 
でも良かったよ。いきなり「お前が!?」ってなってたら発作起きてたかもしれない。
ミーハーギャップ症候群が。たったいま、名付けたけど。
著名人に対する憧れがあって、同質性で仲の良いはずの友人に対しての認知のズレ、心の隙間、どこか置いていかれたような寂しさ。。。
 
いまなら急に、「お前が!?」に出会っても「ふうん。。」で済ませる自信がある。いや、応援してあげて。
ただ、やっぱり聞くのは有名になったから、コンテストで評価されたからで、知らないだけでやってるけどあまり有名ではない人は、もっといるんだろうな。
だから、みんな遠くにいてしまった。。と感じずに、いろんな苦労や挫折、届かなかった人たち、頑張っている人たちもいることを思い出して、変にネガティブになる必要はないのだと。
そう自分を励ましているところです。発症してるじゃん。ミーハーギャップ症候群。
 
はい、ずっと発症してます。白状します。だから許してください。
取調べ中、別にカツ丼とは言いません。ただトランプを毎日してくれるなら。。。あと麻雀も、カタンも。。あと乃木坂工事中も。。え?それは無理?
じゃあ、発症してません。
 
茶番。グッデグデのズッルズル。ダル絡みならぬダル綴り。つい先日「ポエマーだよね」って言われた。「夏の空してるわー」って言っただけで。
人間、みなポエマーよ。ラインの一言が書いてあればあるほどポエマー!塩梅がわからないから空白のままのチキンポエマーです。
いまはラインの一言より、インスタのストーリーで夕焼けとともに載せてる言葉と、インスタの投稿のハッシュタグ最後の単語がその人のポエマー度を表してるよ。
だから、「なんでインスタ投稿しないのー?」の質問は、ポエムが溢れちゃうから!が答え。
 

友達がYouTubeを始めたり有名になったりして心がもやもやするのは、心理学でいう自己評価維持モデルで説明できるのでは

 
うわー、すごい長い見出しだ。
心理的に近い他者が、自身の関与度の高い活動で成功すると、自己評価が下がるというもの。
 
これの反対で、栄光浴があります。まずそちらを説明します。
心理的に近い他者が、自身の関与度の低い活動で成功すると、自己評価が上がるというもの。
 
例えば、陸上部の足並俊くんの友達、音感涼くんが軽音楽部のコンテストで優勝したとする。すると、足並くんは自慢するわけです。
「おれのマブダチの音感がよお~、全国をギターで制覇したんだぜえ~?」って。
すると、友達は「すご~い!日本の覇者なんだ~!」ってなるわけです。
「へへっ、あいつはおれが育てたようなもんだからな」って、得意げな足並くん。
 
この、「あの有名な人とおれはつながっている」、「私の友人すごいでしょ自慢」が栄光浴というわけです。浴びてるんです。他人の栄光で人の称賛を。
 
この反対が、いわゆるもやもや感、置いていかれたような感じ、嫉妬。
 
例えば、先程の陸上部の足並くん。同じ陸上部でありライバルのウルトラスピード翔くんが同じ種目で日本新記録を更新しました。
「んぐっ。。。あいつはなんであんなに速くなれるんだ。。改名したからか...?いや、努力したからだろう。同じメニューをこなしていたはずだ。なのになぜ...?」つい独白が漏れます。ダダ漏れです。
ヒソヒソと聞こえます。「ふたりとも頑張ってきてたのにね。。足並くんも今度があるよ。」「にしてもすごいよね~エアマックス翔?ハードルブレイカー翔?忘れちゃったけど、翔くん。うちらの憧れだわ卍」「卍」
 
こんなふうに、素直に成功を喜べなくなるわけです。自分と競い合う部分があったり、勝ち負けがあったりすると、なおさら。
 
つまり、友達がYouTubeをはじめて成功しているのを、どこかもやもやしてしまうのは、自分もYouTubeやメディアでの成功に関心があるのでは!?
 
な、なんてこった!!!!
 
まあでも確かに、「全日本畳の目数え選手権」で優勝する友達がいたとして、
(なにそれ超面白いじゃん。)
絶対に周りに言うと思う。超浴びちゃうと思う。「畳の目なら任せて」って。
そして何も感じないと思う。頑張ってるんだなーってはなるけど、くっそー羨ましいなー、自分もやるか!とはならない。(うそ、ちょっとなってる)
 
つまり、いろんな分野で成功する友達の話を聞いたとき、そのモヤモヤ度合いで自分の関与度の高さがわかるのではないか!?という結論。
自分の中では、畳の目より音楽。音楽よりYouTubeYouTubeよりイラスト。っていう感じだろうか。
もはや攻撃とかしちゃうと露骨だよね。「こいつらが売れるわけない」、「こんなん面白くない」。完全に、自分の中で成功を認めてません。認められてないです、自己評価が下がるから、相対的に。
友達なのに、友達だから、自己評価が下がって対等な関係じゃなくならないようにするために、付き合いを続けるために、友達をけなすという矛盾。
 
まあ、関与度うんぬんの前に、「人の成功すべてがモヤモヤする」ってのは、
 
あるよ、人間。誰しもそういう時期は。
 
それについても今度考えをかきます。
とりあえず、人の成功全部なのか(畳の目選手権も)、分野によって偏りがあるのかによって、対応は違うはずです。それを同定、受容、解決する、この3ステップでうまく自分と付き合えるようになるはず。
「本当は自分も畳の目に青春をかけたかったのか...!?」ってなるかも。ならないでね。なってもいいよ。
 
 イマニム
 
追記
「どうしよう」の答えとしては、「見て、褒めよう」になりました。

『その部屋のなかで最も賢い人』を読んだ

こんにちは、イマニムです。

ただただ、本を読みながらデジタルにメモしていた内容ですね。この本だけしかそのやり方やったことない。

社会心理学の本なので、「社会心理学ってなんだ...?気になるー!」って言う方は読んでみてください。

 

メモ

賢い人とは知能が高い人ではない。

学業不振の生徒は知能が低いとか、仕事ができないのは意欲が無いから、という単一化の帰結は間違い。もっとつぶさに観察する必要があって、様々な要素が行動に影響を与える。環境と遺伝。全く同じ育てられ方をしても同じ人は出来ない。

アメリカ、社会主義を嫌う。他人を助けるため税金を課すという計画も社会主義的であると判断した。

どちらの立場に立つかで、同じ映像でも同じシーンでも、見え方が違う。右に立つものはその報道を右に否定的で左に迎合的と受け取る。逆もまた然り。

自分と同じタイプの人間を普通として、それに当てはまらない人をネガティブな要素を持つ人と捉えがち。陽キャ陰キャを根暗でオタクでコミュ障と捉えて、陰キャ陽キャをバカで品がなく感情的と捉える。ここまで露骨では無いが。自分が変わっている、という可能性にはなかなか辿りつかない。

囚人のジレンマを用いた同じゲームでも、ゲームタイトルが違うだけで協力の割合は変化する。

授業料をあげると志願者が増える。教育の質と格は評価しにくい。値段に頼ってしまう親の心理。

譲歩は善意なのか弱さなのか、仕送りは寛大なのか支配なのか。意味は同じ行為でも変わる。賢い人はこのことを知っていて、自分の行為が自分の意図したように解釈されるよう苦心する。

人間は自分が見たいように物事を見る。単に、自惚れている。ほぼ全ての人が自分は平均以上の要素だと思っている。うぬぼれ。平均より下のものを上として捉えているのではなく、実際に上だと自分で思っている要素にある。例えば、礼儀正しいとか、空気が読めるとか。自分の尺度でその位置を決められるし、平均というものが無限に存在する以上、実際に平均以上はある。その平均以上のものを無限個の中の平均以上の個数に感じてしまうのが人間のうぬぼれ。

自分の先のことを考える時、遠いものは森、近いものは木と距離感を違う風に考える。自分ではなく他人にならどう勧める、一年後の自分はどう言うなど距離を複数持つ必要。

 

 このメモだけ「読んでみたいな!」という方は是非読んでみてくださいね!

ここまで、ただのメモをお読みいただいてありがとうございます。。。!

 

追記

1年経って見返してます!なるほどこんなこと書いたかな?レベルに記憶力の無さ、見返す習慣の無さ、宇宙開発のNASA

でも見返すと、やっぱり自分の関心がある範囲がメモされがちで、タメになるな〜って思った。他人事の自画自賛で、自画自賛が他人事で、なんだか面白い感覚です、なんだこりゃ。

 

☆今日の運勢☆

いまこの文章を読んでいるそこのあなた!1年前のメモを見返すと面白い発見があるかも?

★ラッキーアイテム★

メモ帳、ペン

 

imanimu

 

何故か寝落ちという寝方を選んでしまう期間

こんにちは、イマニムです。

  •  

最近はあまり無いんですけど、寝落ちで眠ることがずっと続く期間というものがたまに来るんです。生きてて。

なんなんですかね、あれ。ちゃんと寝る支度して寝るほうが睡眠の質も良いだろうし、効率が良いのはわかってるんですよ。わかってるんです。

それなのに、寝ちゃうんです。これが。

しかも、しまいにはベッドじゃ無い所で眠る。ソファで、クッションで、床で。

体もめっっちゃいたくなる。ライトつけっぱ、エアコンで寒かったりさえするのに、それで目が覚めるのに、でもその嫌な気分のまま、嫌なポーズで眠り続ける。

ほんと不毛な眠り。朝起きて毎回思うんですよ、「今日はちゃんとして寝るぞ」と。

でもやっぱりその期間が終わるまではそんな感じ、ダラダラグデグデとした眠り。

  •  

こんな経験は自分だけなんじゃないか、とまでは思わないけど、どれぐらいの人がいるのか気になって友達に聞いたことがありました。

結果、割といる。割といました。でも、全くそゆ寝方をしない人もいました。する人はとことんするし、しない人はしない。した事ある人でも、原因聴くと本当にヘトヘトになって眠る、とかそういうこと。

 

つまり、、、

 

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挫折するアヒル

怠惰、なのか????

 

間違いないんですけども、ね。

でもなんか聞くんです。その日をやり切ったと思えない人、消化不良の人は、その日という日を、自分で終わらせられないのだと。その日しなきゃいけないこととか、やりたかたったこととか、本当はわかってるのに、心の抑圧という機能によってか、気づかないフリをしながら「こんな時間になってしまった!」となるわけで。

 

まあ、その抑圧が生じるのも結局はやらなきゃいけない事に向き合えない怠惰によるものなんですが←

  •  

終わらせられないんです、自分で。そういう人は調べ物も中途半端でiPhoneSafariはとっくに500個のタブを使い切り、整理もせずに新しく開いたプライベートブラウザでも500個を使い果たすんです。(経験談)あ、今は大体両方合わせて200個ぐらいまで減ってます。

LINEも溜め込んで、未読を非表示にしたりするんです。そういう人は。バイトもブッチするんです。金も返さないんです。(これは未経験!!!)

  •  

いやもうほんと、怠惰と面倒くさがりのスペシャルコラボ。手と手を取り合って呼吸を合わせてどころじゃない。鏡とワルツ。完璧なリズムで何もさせません。何もしないんですけど。単純に。でも、そゆひとも学生のうちは多かったけど、社会人になると減っていくようで。しっかりし出すんですね。もちろん、そうでない人もいますけど。

 

めんどくせーと思いながら、スマホいじりいじり、時間だけ過ぎていく。実際何をモヤモヤしてるのか、リストアップしてみても、「それとそれだけじゃーん!」みたいに思う。でもそれをする為の睡魔と戦わなきゃいけない、その感じが既に面倒くさい。

  •  

でも、割とこういう状態、つまり眠いからめんどくさいけどやんなきゃいけないのに眠くてやれない、ということが理解できている状況は、寝落ちしまくる期よりは進んでいるんです。その時は何もわかっていないので。

だからその期間を脱してその期間になったなら、やってみるか、思い切って眠るか、つまり朝に託して眠るという選択がベスト。戻ってきてるし。

本当の意味で戻れるのは、葛藤を経ずに1日を終わらせられること。夜が嫌になるのは、夜が嫌な訳ではなく昼のツケの大きさを実感させられるから。(夜に責任転嫁して昼を好きになる逃げ方も時期としてはアリだと思いますが)

ちゃんとやることやらなきゃって事ですね。もうこれ何歳の頃から言われてきたことか。まあ、歳を経てもわからないんだから人生でめっっっっちゃ大切ってことでしょう。幼稚園生でもできるってのは簡単なことだからじゃなくて、それほど大切なことを教えてもらえる期間だから。だから自分を怠惰でどうしようも無いクソ人間だとか思うのは、次のステップに進めなくしてしまうと思うんですよね。健全で理想的な生活を送る上で。

こう考えています。落ちた所からの這い上がり方が上手くなれば、いつ落ちても平気だと。何回も落ちてるってことは、這い上がりのプロってことでもあると思うんですよね。転落のプロでもあるけど。

いまや鬱病とか、社会から弾かれたと感じる疎外感とかで自殺してしまう人も多い世の中なので。。誰しも折れる日は、必ずあると思うんです。その感じる重さの大小はありますが、そうした時に立ち直れる練習だと思えば、こんな期間も生きていると言えるはずです。

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母なる海よ
  •  

...。...。

なぜこんな結論に???

寝落ちだけだったのに、主語というかテーマを大きくしてしまうのは良くないですね!ただ身の回りにそういった人が多かったので少し思う事がありました。

 

要するに、部屋を暗くしてベッドで寝ろよ!って事です。

 

おやすみなさい。

 

もちろん、ベッドから、です。はい。

 

では。

イマニム

  •  

追記

Switchbotなるものを買いまして、夜になるにつれて照明をだんだん暗くなるように設定すれば、自然と夜の意識がつくようになりました。

「○時になったら照明の電源オフ、エアコンの設定温度を○度に~」とかも、リモコンによってはできるので、「寝ちゃうけど睡眠の質はカバーさせてほしい!」っていう人にはおすすめです。

照度だけじゃなくて色温度も変えられるシーリングライトを買うのが夢です。

 

『アイドル、やめました。』読了レビュー

自粛期間に乃木坂46に遅ればせながらハマっていた。中でも一期生を好きになった。推しは斉藤優里深川麻衣中元日芽香。しかしその3人とも乃木坂を卒業している。アイドルとは時間を共有して同じ夢に向かう、推すという行為があるからこそ好きになる、という考えがあった。終わりを知りながら、メンバーの活躍を過去に探っていく行為は、なんだか切ない。そこで考えを切り替えた。これは終わりのある物語で、一種の漫画やアニメを見ている状態なのだと。近頃のアイドル、特に秋元康プロデュースのものは成長を見せるある意味ドキュメントになっている。反対に、KPOPは完成させたものを売る。(その体質故にオーディションは白熱する、ここがドキュメントとしてはピークだから。)生駒ちゃんの卒業時に語ったものを読むと、48グループがもつストーリーがよく理解できた。

彼らとして、アイドルは最終目標ではない。ももクロエビ中みたいに、ずっと存続できるグループ体質ならば、アイドルが最終到達点になりうる。というか、モーニング娘。に始まる新期生を入れグループの新陳代謝を良くするまではこれが当たり前だった。バンドのような。しかし、グループとしてメンバーを入れ替えるようになると、年齢にもばらつきが出て、卒業というシステムも一般化する。脱退や引退、休止とかいろいろな言い方はあるけれど、美化するためにも卒業というのだろう。

そこで、ふと思う。乃木坂を卒業した私の推したちは、その推しと時間をともにした元メンバーは今何をしているのか。そこが漫画やアニメとは違って生身の身体を持つ彼らの違うところだ。乃木坂46という物語の舞台から降りても、彼らの人生は続いている。ドキュメント的にアイドルコンテンツを売る以上、卒業したあとも彼らにはドキュメント的成長を求めたくなってしまう。生駒ちゃんの「これからは完成、成長した私を見てほしい」には反してしまうが、その完成した姿さえも、その過去の成長という線分の先にある直線として見ずにはいられない。

しかし、引退してしまうとその物語もほぼ完全に幕を閉じてしまう。ソニーミュージックのスタッフになったのではないかと噂吹かれる橋本奈々未や、早稲田大学に在籍し今は心理カウンセラーとして活動する中元日芽香など。人生をともに生きる、なんて大げさなことではないけれど、どこか同じ今を生きる人間としての接点が感じられなくなるといものがある。かんじへんかんできなくなってしまいました。とちゆうです

 

 

 

 

友達の短所は伝えるべき??

こんにちは、イマニムです。

コミュ力」という言葉が普及して、コミュニケーションなのかコミニュケーションなのかわからない事がなくなったということだけが良い反面、悪い反面としてコミュニケーションへの過剰注力が見込まれる現在!(はぁ、はぁ、一息で読めない)

まあまあ長く付き合いを続けて、良い所と悪い所が見えてくるようになる友人。

そんな人が多くなってくるのではないでしょうか。

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悪いところが目につきすぎてしまって目をつむることすら難しい、そんな時、どうすれば良いのか考えてみました!

パターンは、自分ができることの「伝える」、「離れる」の2つの組み合わせですね。

 

1.言わずに離れるべき。直させるのは違う。ヒトに言える立場ではないし、何様?というもの。ただそれは自分が嫌なポイントについただけで、客観的に見れば問題ないということもある。そう考えると治すのは自分自身の心の狭さであり、それを相手のせいにするのは違う。とする理論。

 


2.言うべき。それが原因で他の人ともトラブルになっていたり、人が離れて悩んでいたりするかもしれない。負の部分を指摘して互いに向上できたり、その関係がお互いのストレスを取り除くことによって向上するかもしれない。とする理論。

 


3.言うべき。そして離れるべき。離れるのだから、せめて言ってあげようというスタンス。それは即ち、言うのだからもう遊べない、会えない、離れるしかない、という理論でもある。

 


4.言わないべき。言ったところですぐ治るものではないし、喧嘩に発展してしまうかもしれない。反感を買うかもしれない。恋人の近い距離ならまだしも、え?ただの友達でそんなこと言う?という弱気な理論。

 

うーん、難しいですよね。。

自分としては「じっくりそれが相手だけの問題なのか考えて、やんわりと伝えて、辛抱強く待って、それでも変わらないなら時間を置いてまた会って、それでも無理なら離れる」が良い気はする。。

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色んな人と長期的に上手く関係を築くスキルは身に付けたい!

はやく人間になりたい!

 

imanimu

宅急便って高いな??

ピンポーン!!

20代の意見。社会を知らないからこそ持つ視点をお届けに参りましたー!

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  •  

いや、ZOZOTOWNをよく使うんですけどね。

賛否両論あるゾゾではありますが。

あれ、配送料200円の設定なんですよ。

今思えばとんでもなく安いですね。

アマゾンや楽天で商品を頼むときも大抵350円払えばそれが配送料です。

アマゾンプライムなんて配送料無料でお急ぎ便を選べます。凄いですよね。

もう全部、安いですね。

  •  

なんでこんなに安さを実感したかというと、ZOZOTOWNの商品を返品したんです。

欲しい商品は店頭に無く、ネットで頼むしかない。丈感も今までの経験から大丈夫であるという自信を持ち、注文。

届いた時は、すごくいい感じに見えていた。丈感もそこそこ。しかし履くと少し違和感。あれっ?こんな感じ?

でも見ているうちにこれでも履けるか、とも思えてくるわけなんですよ。むしろ履いてあげたい。単純接触効果かな。

でも待てよ、と考える。服は頑張らないものであるべきだと。ファッションとして頑張るのは良くても、頑張って気に入ろうとするのは違うだろうと。

他に欲しい商品はそもそも売り切れていて古着を購入するほかない。ただ安すぎて逆に不安になるのが人間の性。でも、本当に欲しいものなら価格からでなく商品から選ぶべきだ。それが高くて悩むのではなく、安くて悩むのだとしても。

などなど、色々と関係ないことをぐるぐると考え、結局返品を選びました。

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  •  

やっと本題。

 

ZOZOTOWNの箱デカかったので他に来たアマゾンの箱で送り返した。これはちなみに大丈夫です。返品するのは商品とバーコード付きの袋だけ。箱は自由。

ヤマトではデジタル割、とかやってました。ラインと提携して60円引き。おぉー。と思っていた。

ヤマト運輸に営業終了5分前とかに持ち込んではかってもらっていた。

 

「お会計、940円になりまーす」

 

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え??まじ??

いつも350円の配送料を高いと思っていた。

たまにタダになるし。高い商品を買ったりすると。

ゾゾではもはや200円で今から贈ろうとするサイズより大きな箱で来た。

 

そんなにするんですね。。

いや、間違いなく運送業を、内部から考える意識で考えればその価格設定になるのはわかります。高いから安くしろってことじゃないんです。

今まで、消費者側だからこそ気づかなかった、(まあそもそも宅急便使う事あまりない学生だからってのもありますが)企業側の努力。

こんなに高かったんだ、、

ここまでのコストを削って配送してくれている。その削りを食らうのは、運送業なのか、卸なのか、メーカーなのか、はたまた消費者か。

私たちはつい、商品に対してお金を払っているつもりになるが、そうではない。その間に発生している様々な人に対してお金を払っているのだ。

そう思うと全てのものの値段設定ってフワフワしているようにも思える。セール品とか、試供品とか。もちろんいろんな意図が組み込まれているが、我々にはその商品価格の中に何がはいっているかわからない。

  •  

話が逸れました。

カード決済だったり、郵送の発達。

便利になっているように思われますが、意外とデジタルでなくアナログの方がコスパ良くない?社会全体で。結局、今日頼んで明日来るのが有難い、ってなるのはほんっとに急いでいる時だけ。割ともう少しゆっくりでも全然問題無かったりする。

実はいらないサービスをみんなが「そうか」と思いながら受け入れているなら、社会ってすごいですね。

カード決済も、明らかに儲けているのはカード会社。消費額に応じて何パーセント還元、につられて利用してしまうが、現金利用ならカード決済手数料を引いた会計金額に、という対応をしてくれるお店があったら現金を使います。

 

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どこでも使える現金ってサイキョーじゃない?

色々考えて生きなきゃ社会って大変ですね。

頑張ります。

imanimu