イマニムのブログ

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『アイドル、やめました。』読了レビュー

自粛期間に乃木坂46に遅ればせながらハマっていた。中でも一期生を好きになった。推しは斉藤優里深川麻衣中元日芽香。しかしその3人とも乃木坂を卒業している。アイドルとは時間を共有して同じ夢に向かう、推すという行為があるからこそ好きになる、という考えがあった。終わりを知りながら、メンバーの活躍を過去に探っていく行為は、なんだか切ない。そこで考えを切り替えた。これは終わりのある物語で、一種の漫画やアニメを見ている状態なのだと。近頃のアイドル、特に秋元康プロデュースのものは成長を見せるある意味ドキュメントになっている。反対に、KPOPは完成させたものを売る。(その体質故にオーディションは白熱する、ここがドキュメントとしてはピークだから。)生駒ちゃんの卒業時に語ったものを読むと、48グループがもつストーリーがよく理解できた。

彼らとして、アイドルは最終目標ではない。ももクロエビ中みたいに、ずっと存続できるグループ体質ならば、アイドルが最終到達点になりうる。というか、モーニング娘。に始まる新期生を入れグループの新陳代謝を良くするまではこれが当たり前だった。バンドのような。しかし、グループとしてメンバーを入れ替えるようになると、年齢にもばらつきが出て、卒業というシステムも一般化する。脱退や引退、休止とかいろいろな言い方はあるけれど、美化するためにも卒業というのだろう。

そこで、ふと思う。乃木坂を卒業した私の推したちは、その推しと時間をともにした元メンバーは今何をしているのか。そこが漫画やアニメとは違って生身の身体を持つ彼らの違うところだ。乃木坂46という物語の舞台から降りても、彼らの人生は続いている。ドキュメント的にアイドルコンテンツを売る以上、卒業したあとも彼らにはドキュメント的成長を求めたくなってしまう。生駒ちゃんの「これからは完成、成長した私を見てほしい」には反してしまうが、その完成した姿さえも、その過去の成長という線分の先にある直線として見ずにはいられない。

しかし、引退してしまうとその物語もほぼ完全に幕を閉じてしまう。ソニーミュージックのスタッフになったのではないかと噂吹かれる橋本奈々未や、早稲田大学に在籍し今は心理カウンセラーとして活動する中元日芽香など。人生をともに生きる、なんて大げさなことではないけれど、どこか同じ今を生きる人間としての接点が感じられなくなるといものがある。かんじへんかんできなくなってしまいました。とちゆうです